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意見の違い

『ヨーガ・スートラ』では「心の働き」を以下の5つに分類して考えます。

〇正しい認識
〇間違った認識
〇言葉による錯覚
〇睡眠
〇記憶

このうち「間違った認識」はいわゆる「誤解」のことで、よく暗い道でロープを見たときに蛇🐍に見間違えてビックリ😱、という感じに説明されます。

ではなぜ「蛇」に見間違えたのでしょうか?。
そもそも蛇🐍を知らなければ、ロープを見て蛇だとは思わないでしょうから、蛇を知っていた、蛇という情報に触れたことがあることになります。

また、ビックリ😱したということは、過去に蛇で怖い目にあったことがあるか、そういう情報に触れたことがあるのだと思います。
(本能的に蛇を恐れる、という説もありますが、それは別のお話ということで💦

なにが言いたいのかというと、今自分の中に起こった感情は、過去の経験や知識に因るものである、ということです。

生牡蠣🦪に当たったことがある人なら、生牡蠣を見るのも嫌かもしれませんが、楽しいデートで生牡蠣を食べた人は一生の思い出になるでしょう。

生牡蠣が好きな人が「生牡蠣嫌い!」という意見を聞いたら、反発のような感情が起こるかもしれません。
このような意見の違いは「過去の体験」や過去に「どんな情報に触れたか」に依存します。

ヨガの哲学ではこのような「意見」や「感情」は一時的なもの・周りの環境や経験などに左右されるものであり、自分の本質ではないと考えます。

生牡蠣が好きな人も嫌いな人も、過去の経験が反対であれは、見聞きした情報が逆のものであれば、今とは違う意見かもしません。
そのように移り変わるもので相手を判断したり、反発したりしてストレスを感じ、怒りを貯め込むようなことは、つまらないことだと思います。

自分と異なる意見や考えに触れたとき「この人は自分と異なる経験をし、違う情報に触れたのだな」と考えます。
自分もそのようになる可能性があったこと、相手も自分と同じ経験や情報で自分と同じ意見になることもあったかもしれません。

そしてその「本質」は自分と同じであると捉えること、そのように考え方を変えることで『自分が変わるのかな』と思います。

今、家に居る時間も長くなって、TVやネットの情報に触れる機会も増える人が多くなっていると思います。

心の働きの3つ目「言葉による錯覚」は、昔は人から伝え聞いたことに対してのみだったと思いますが、今ではメディアの情報なども含めての話になると思います。

今世界でいろいろなことが起きていますね。ちょっと前までは予想もできなかった事態ですが、こんなときこそ自分の心を見つめ、考えを深める機会としたいと思います。

みたいな(=゚ω゚)ノ