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「無」や「空」といった概念

昨日は今年のクラス初め🙏
仏教の「無」や「空」についてお話させて頂きました。

昨年は生活や環境・仕事や人間関係の変化を感じた方も多かったと思います。

私と同世代の方は、バブル崩壊などありましたが、あまり大きな社会の変化を経験していないため、平和や経済的な安定がある程度保証されているように錯覚してしまいがちです。

しかしちょっと前、私達の祖父祖母の世代は戦争経験者で、私の母方のじーちゃんばーちゃんは満州帰りです。
父は戦後すぐの生まれなので貧困から中卒で働き、高度経済成長を経てバブルなど、様々な変化に対応してきたことになります。
(私の中国武術の老師の老師の方々はみんな退役軍人ですし)

世の中は移り変わるもの。
「常」など「無」いので「無常」ですね。

「無」の概念は複雑ですが、誤解を恐れずに一言で表すと「現象」と言えるかと思います。

この世のすべては変化し続けています。
庭の木🌲は毎日成長していますし、1万年後には朽ちてなくなっているでしょう。
常に変化しているわけで、その変化がゆっくりで気づき難いだけで、一瞬たりともその状態で留まることはないわけです。

投げて飛んでいる空中のボールのように、それは一途期の「現象」の連続であって、実態のないものであると考えます。

また、今の世の中すべては様々な「縁」によって成り立っています。

「縁」の概念も複雑ですが、あなたもお父さんとお母さんが出会わなければ存在していないわけですし、成長の過程で体験した出来事、出会った人が異なれば、今の自分と全く同じではなかったでしょう。

そのように世界を捉えたとき、この世に絶対のもの、普遍的なものなどないよ、ということに気づくことが、仏教の目的となります。

そうすることで、自分のなかのこだわり、執着などに囚われない自分になっていくことが出来るのかなーと思います。

ヨガ的には、その中にも真の自分、絶対の存在として「アートマン」や「プルシャ」というものを想定しています。

世の中には絶対普遍のものなどない、ということを瞑想によって悟るのが仏教。

その中でも、自分の中に絶対の存在、普遍的な自分を見つけるのがヨーガ。

なのかなーというのが、現在のワタクシの考えです🙇‍♂💦

「無」とか「空」とか「縁」とか、簡単にまとめるために端折った表現もしてますので、興味のある方は、是非キチンとした本を読んで、ご自分の考えを見つけてみてください😉

哲学を学ぶとは、人から聞いたことを覚えることではなく、そこから自分の考えを深めることだと思います。

だいたいそんな感じ(=゚ω゚)ノ