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関西の思い出 ~高野山~

関西の思い出 ~高野山~

 

大阪に来てから、何年かに一度、高野山に行っていました。

 

友達と行くこともあれば、ひとりで行くことも。

 

電車の時間も密教に関する本など読みながらであれば乙なものでして、なにかを見に行くというより、こういう時間を過ごすことが目的でした。

 

初めて高野山に行ったはのは、実は18歳で、高野山大学を受験したときでした。

 

といっても当時から仏教・密教に興味があったわけではありません。

 

中高生の頃は早く自立したくて、高校卒業したら、警察か消防に入ろうと思っていました。

でも親父は大学だけは行けという。

 

40歳過ぎて親父と話をすると、親父は戦後すぐの生まれなので中卒だから、学歴にはコンプレックスがあったようで、子供には大学に行けるなら行ってほしい、ということだったようです。

 

当時はそんなこと知らないからなんとなく親に反発していて、高校3年のときに大学に行けと言われたときに「沖縄国際武道大学か高野山大学なら行く!」と返事しました。

 

「そんな金出せるかー!」ってなると思ってたら、願書を取り寄せられ、受験させられました。

 

道中は覚えてないけど、はじめてひとりで新幹線に乗り、修学旅行では京都までは来たけど大阪は初。なんだかわからないまま、うっすら雪の積もった高野山に着きました。

 

駅からバスで高野山大学まで乗って、大学入ってすぐのところに土俵があった記憶があるんだけど、、、なぜ土俵?。

 

その日は宿坊に泊まって受験は翌日。

精進料理を食べて、早めに就寝しました。

 

確か8人部屋だったと思うけど、消灯後、みんな布団から起き出して、

「どっから来たの?」

みたいな話になるわけです。

 

当たり前なんですけど、みんな寺の子なんですよ。

文具屋の息子なんて私だけなんですよ。

 

「なんで来たの?」

「いや、自分でもよくわかんないんだけど・・・・」

みたいな話をしたのを覚えてます。

 

翌朝は早く起きて、すでにお坊さんは起きて護摩を焚く儀式をしているので、そこに礼をして朝食を食べ、筆記試験を受け、面談を受け、「なんで来たの?」って言われて「いや~よくわかんないっす」みたいな話をして帰ってきました。

 

当然落ちて一浪し、翌年京都の大学に行くことになるのですが、今自分がヨガをして、武術をしていることを考えると、あのとき「沖縄国際武道大学」と「高野山大学」を選んだのも、そのころから無意識にそういうつもりだったんだなと思うわけです。

 

ちなみに3年くらい前に、高野山大学の大学院に入学するのにはどうすればよいか、ということを聞きに高野山大学に行きました。

 

英語・サンスクリット語・漢文その他諸々、学費も含めやはり甘くはないわけで断念しましたが、密教のこと、仏教のこと、阿字観やヨガについてもいろいろな話をお聞かせ頂きました。

 

 

高野山はいつまでもこのままであって欲しい。

そしてまた来たい。

 

そう思う場所なのであります。